San Diego Serenade

~サブカル被れの独り言~

思い出の家族旅行

またまた、お題に乗ってみる、だってさ、日本人だしさ。指示待ち族なんだもの。

 

さて、思い出の家族旅行って言われて空っぽの頭の中の記憶を辿って見たんだけど、やっぱり今年のお盆の帰省がぴったりかなって思って。

何よりも、これは使命感に近いものがあるからどうしても伝えたいことの1つだしさ。

 

うちの両親は共に東北の出身で、父は青森の八戸で母は山形の米沢市の出身なの。父の方は父方の祖父の転勤もあって中学2年生の頃に神奈川県に出てきたから、ばあちゃんちに行くと言えば、母方の実家に帰るのがうちの不文律だった。

 

このばあちゃんちってのが、米沢市とは言ったものの、その中心部からさらに車で30分行ったところにある簗沢郡?簗沢村?、正確にはわからないけど、人里離れた山の奥にある地域だ。言い方は悪いけど、部落だ。周りの家の人の苗字はほぼ全て一緒、だからみんな下の名前で呼び合う。ここまで言えばわかるよね?

そんで、母方の祖父はその辺り一帯の畑を管理する大地主の本家だった。200年、いや下手したらそれ以上前からその土地に暮らして、その発展を目に焼き付けながら生きてきた由緒ある家系だ。家だってものすごく古くて、築200年の隣のトトロに出てくるような日本家屋の平屋造りで、屋根裏にはお蚕様を飼うための部屋がある。家の中には黒くて太い大黒柱が通って板間にはどっしりと囲炉裏が構えている。壁は土壁で、屋根は今はトタンになってしまったけれど、専属の茅葺き師が生きていた頃にはまだ茅葺き屋根だった。

 

僕は小さい頃、このばあちゃんちが大嫌いだった。虫はいるし、トイレは和式だし、周りには何もないし、何よりも親戚付き合いはめんどくさいし、行くたびに書ききれない程の苦痛を感じてた。

大きくなるにつれて、親の制約とかそう言うものがなくなるにつれて自然に足が遠のいて、それでもうかれこれ7、8年くらい行ってなかった。

 

じゃあなんで今更帰るのって話なんだけどさ、今度このばあちゃんちを壊すことにしたんだって、もう2人とも歳をとって、冬の雪かきやら、何よりも通院や買い物っていう生きて行くために必要なことへのアクセスが悪すぎるとなったらしい。それで、一度親戚全員で集まって今後の話をしようとなったらしい。

それで今回帰ったわけ。そんでね久々に行ってみたらすんごい良かったわけ。あんなに大嫌いだったばあちゃんちがすんごい素敵に見えるの。大嫌いな親戚達ともすんなり話せるわけ、お互い大人になったし、酒の勢いもあってか知らずだけど本音と建て前上手く使いこなしてさ、小粋なボケとか挟みながら楽しくお喋りしてるの、あぁ営業で良かったなーなんて感じてさ。そんでほろ酔い気分で外に出て空を見たら満天の星空。手で掴めそう、なんてちっぽけな表現なんてしたくなくなるくらいのやつ。ゴイステの銀河鉄道の夜とか夜王子と月の姫なんか聞きたくなるような星空が広がってる。今、この世界の片隅にって流行ってるけどそんなの甘っちょろいし、こっちの方が片隅だってのって言いたくなるような所だから味わえる自然と共に暮らしているあの感じ。そんでここ潰すんだって思うとなんか込み上げてくるものがある。それで居間に戻るとじいちゃんが酔っ払って呂律回らない中で言うのさ、ここで死にたいって。ばあちゃんも何も言わずにいるけど、じいちゃんの傍でうんうん頷いてた。これ見たら誰も何も言えねーよ。そこら辺のやっすいドラマ見るより明らかにこっちの方がドラマだって。今までペラペラ喋ってたおじさんもその一言聞いて黙っちゃった。そりゃそうだよ、この一言にはじいちゃんの人生全てが詰まってんだから。この土地で生まれて、80年。ばあちゃんと結婚してはや60年。ずっとここでいい時も悪いときもずっとしがみついてきたんだから。あの言葉からじいちゃんとばあちゃんの人生が頭の中をぐるぐると回って、東京に行こうよ、名古屋に行こうよ、いやいや大阪だってみたいなことなんか言えるはずないよ。

 

あぁ、思いに任せて書いたから乱文になってしまったのだけれど、僕は今自然の中で暮らそうとか、自然って最高なんて言う奴の言葉なんて信じない。だってその人たちって良いところしか見てない御都合主義だし、じゃあいざここで暮らす?って言われたら絶対にNoって言うような奴らだよ。僕は今回じいちゃんに行って思ったよ、自然っていいなだけどここでは自分は暮らせないって。じいちゃんとばあちゃんそして、先祖の思い出が詰まったこの家は潰したくないこれが間違いなく本音だけれどじいちゃんの過ごしてきた人生と自然と共に逆らわずむしろ畏怖して尊敬して、時には友人として、冬の寒さに耐えて、春の芽吹きを愛でて、夏の暑さにも負けずに働いて、秋の実りを喜ぶそんな生活僕には出来ない。だから軽々しく田舎で暮らしたいなんて言わないで欲しい。いや、言うな。じいちゃんの言葉が否定されるようで悲しんだ。

 

僕もじいちゃんのようにここで死にたいって思えるような場所を探すことを人生の目標にして生きよう。それがせめてもの恩返しだから。